11年前に1度会ったきりの実母と会いました。
きっかけは
自分の名前が好きではない
=自分の存在を受け入れてない
と気づき、名前の由来をきいてみようと
思ったことからでした。
自分で考えたウソの本名の由来
実母が私を産んだのは16歳の時でした。
すぐに養護施設に送られた私は
一人だけ親の面会がなく
服も何もかも自分の持ち物はゼロ。
他の子のおもちゃを取って
泣かせていたらしいのです。
おそらく生まれてすぐから
「孤独感」「居場所がない不安定さ」が
深く根をはってしまったんだと思います。
10代の頃、唯一心の支えだった
家(里親宅)の犬が死んだとき
あまりの孤独感で、飛びおりて死のうと
思ったこともありました。
(実際は、死ぬ勇気などないことを確認する
作業にすぎなかった)
それと私の思い込みの中に
「誰にも望まれないで生まれた」
「自分の存在は厄介だ、人を困らせる」
というものが長く居座り
自分で自分の存在を
受け入れられないでいました。
名前に関するトラウマもあります。
既にブログで書いたかな?
小学生の時
クラスのみんなの前で
自分の生まれた時のことを
発表する授業がありました。
赤ちゃんの時の写真を見せながら
生まれた時の体重や名前の由来など
前に立って話すのです。
なんとなく自分が本当の子ではないと
気づいていた私は
やばい!そんな記録、うちにあるのか!?
と焦りました。
仕方なく里親に課題のことを伝えると
親が取り出してきたのは
知らない場所で知らない子たちと私が
一緒に写っているアルバム・・・
異様に感じました。
名前の由来をきくと
そんなの知らないと言われ
咄嗟に「○○って意味だよね!」と
その場を取り繕い
次の日、自分で考えた名前の由来を
クラスのみんなの前で発表したのが
本当に情けなくて嫌でした。
ウソなんかつきたくなかったんです。
でもそうするしかなかった。
その後、発表した紙は写真付きで
教室の壁に張り出されました。
他の子のと一緒に並ぶ
自分のをぼんやり眺め
切なくなったのを覚えています。
生まれた直後の写真なんかないので
私の写真だけ少し成長したやつ。
私だけみんなと違う・・・。
そんないきさつがあり
自分の名前が
あまり好きではなかったのですが
先日、公園でぼーっとしていたところ
名前の由来を聞いてみよう!と思い立ち
久しぶりに実母にメールしてみたのです。
それから会おうと誘われ、会ってきました。
正直どんな顔して会っていいか分からず
モヤモヤしていたのですが
自分にどうしたいのか問いかけた時
仲良くなりたいという答えが
返ってきました。
これまで周りの目を気にして
嫌な思いもすることがいろいろありました。
子どもの時から、寝る前には
このまま目が覚めなければいいと思い続け
生まれてこなければ良かったと
思ったこともあります。
けれども
実母を責めてしゅんとさせたいわけではなく
これまでのことを
ただ分かって欲しかったのです。
そして、今の思いを伝えました。
自分の存在を否定してきたこと
受け入れてほしいということ、など。
彼女も私に会うまで
どう接していいのか分からなったようですが
ちゃんと受け止めてくれました。
まだ、私の中で
血のつながりという感覚がよく分からず
戸惑いもありますが
それからは少しずつ距離を縮めています。
名前の由来も分かり
嫌ではなくなった気がします✨
降ってきた凰火の由来
私の育ての両親は、60代で亡くなりました。
両親のお骨は母の故郷の海に散骨し
唯一お墓に入っていた祖母のお骨は
私の後に守る人もいないので
永代供養をお願いしました。
最後の墓参りの日
両親と何度も通った記憶を思い出しながら
お墓を掃除し、線香をあげ手を合わした後に
ふと空を見上げると、龍雲が見えました。
大きな目をした龍は私と目を合わせ
それからどんどん近づいてきて
頭上を通り過ぎていきました。
この世に龍や龍神が本当にいるのか
私には分かりません。
この出来事は
私の思い過ごしかもしれないです。
ただ、その時は
たしかに龍と会った気がし
その龍が通り過ぎていった後に
私のこの家の子としての役割は終わったんだ
と感じたのでした。
そして、その翌朝
起きて洗面台の前で顔を洗っていたら
「火の鳥」という言葉が降ってきました。
ちょうどその頃
自分の活動名を考えていたので
これだ!と思ったのでした。
最初は「火鳥(かちょう)」もありかな
と思ったんですが
夫みーちゃんが微妙な反応だったのと
画数がよくなかったので却下になりました。
その代わり鳳凰から一文字とり
今の「八樹 凰火」になりました。
(鳳凰の「鳳」は雄、
「凰」は雌だそうです)
画数もばっちりです!
自分でも
よくここまで大きく出られたものだなと
恥ずかしい気もしないではないですが
自分の中の情熱と「火の鳥」のイメージが
重なったような気がして
そのまま従うことにしました。
ところで「火の鳥」って何よ?
という疑問があったので
「火の鳥」「フェニックス」なんかで
当時ネットで検索すると
「不死鳥」「破壊の鳥」とか出てきました😥
ただ、どこかのサイトで
「愛」を届ける(だったかと)というような
説明を見かけました。
へ~💡
ちなみに、後になって手塚治虫の漫画も読んだ↓
「愛」といえば・・・
ここからセラピストらしからぬ
告白をしますよ。
私、以前は「愛」という言葉が
虫唾が走るような生理的になんだか
受けつけない感じがありました。
若いころは、ボランティアも偽善だと
感じるところがありました。
献身的にボランティアをされている方には
本当に失礼極まりなく、すみません。
今は全くそうは思ってないですし
偽善と思う反面
育ての母がどこかに所属するでもなく
個人的に老人ホームなどで
ボランティアをしている姿が好きでした。
私自身も人の心を支える仕事がしたい
と思ってきたので
そのあたり、なんだか矛盾しているのです。
私は子どもの頃から
どこかひねくれている部分がありました。
風邪で学校を休んでいるクラスメイトを
みんなで心配する状況下では
内心、寝てりゃ治るものを
何を寄ってたかって心配するのかと
その場の同調の雰囲気に
違和感があったり・・・。
なぜそんな風に思っていたのか
考えていたところ、やっと分かりました。
どうもありのままで生きられない
反発心からきていたようです。
それは、養子であることを隠し
一般的な家庭と同じである風を
装ってきたこともそうですが
育ってきた過程で
社会性を身につけるために
本心を後回しにした結果でもあります。
一つ例を出すと
家では父がお菓子をくれる時
差し出したお菓子を一瞬引っ込め
私に「ありがとうは?」と言い
言うまでくれないことがありました。
親としてはしつけのつもりで
悪気はないはずですが
私には強要されている感じがしました。
「ありがとうと思ってないのに
どうしてありがとうと
言わなきゃいけないの?」
ただ、自分の気持ちに正直でいたかった。
けれども
どうやら家庭や社会で生きていくためには
言われたことに従わないといけないらしい
という学び方をしてしまい
何かしてもらった→ありがとうを言う
という方程式だけが出来上がったのでした。
そんな私も人生で
人間関係、病気、お金のピンチ
(はっ!これって人間の3大苦⁈)
を通して、出会ってきた人たちに
「感謝する」ことを学びました。
私がずっと戦ってきたのは
社会と自分の中に根付いた
「こうあるべき」「これが普通で当たり前」
という固定概念だったようです。
そして
「普通の家庭の子」ではない自分に
引け目を感じていたのもしれません。
自分を一番否定していたのは自分でした。
でも、やっと自分を受け入れたいという
気持ちになれたのです。
さて、話は戻りますが
不思議な成り行きで決めた「凰火」には
ちゃんと私の思いも込めています。
- 人を芯から癒したい
- 温かく優しく包み込むような人でありたい
その思いは、このブログのタイトルにも
のせています。
- 疲れたら、陽だまりのようなぽかぽかした巣で羽を休めてね
- また元気になって、本来の生き方を見つけて飛び立ってね
それが私の目指すところです。
その為に
私は自分の経験を糧に活動します。
そして
みんなが心に余裕のある豊かな生活を手にし
平和な世の中になってほしいと願います。
私は特に虐待のニュースを見ると
胸が本当に苦しくなります。
子どもやペットは
一人で生きていくことはできません。
どんなにひどい保護者であろうと
与えられた場所で
生きていくしかないのです。
辛く悲しい思いをする
子どもや動物を救うためにも
大人が、社会が癒され余裕を持たなくては
ならないと思うのです。
このブログは、もはや雑記に近いですし
持病の経過も綴っていたりと
セラピストとして情報発信する類の中では
少しズレているかもしれません。
でも、このブログに出会えて良かった
と言ってくださる方もいて
私のやっていることは無駄ではなかったんだ
ととても嬉しく思います。
今は
辛い経験があったからこそ
相手の気持ちを慮ることができ
持病があったからこそ
人の体を触った時、どんな痛みか
予想がつけられるのだというように
過去の経験を良い方向に捉えています。
そういえば、最近気づいたのですが
どうも私は「愛」を受け入れることが
不器用だったみたいです😅
ここ1年は、仕事を休み
本来の自分とつながることを
重点的にやってきました。
いろいろ脱ぎ捨てると
見えてくるものがありますね。
けっこうぶっちゃけましたが
こんなセラピストもまぁいいですよね。
表面的なキレイごと並べられるより
いいのではとも思っています。
最後にご報告ですが
先月から整体に復帰しました。
来年の私は
「ぶっ壊し」がテーマのようなので
またどんどん脱ぎ捨てて
子どもの時のような純粋な気持ちで
つき進んで行きたいと思っています🐯
みなさん、良いお年をお迎えください🌅⛄
また来年もよろしくお願いします💗
寒さに気をつけてね。
かしこ*
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