一陽来復 *側弯症の経絡内臓整体師*

治療難民の方に一陽の春が訪れますように

「今ここ」の感覚 幸せは探しに行かなくてもいい

一昨日の夜、寝る時のことです。

 

私は、布団に入った時に

雨風しのげる家があって

ぬくぬくできる布団があって

幸せだなと思うことがよくあります。

 

一昨日はそこからが違いました。

そう思った瞬間

自分の意識が「今ここ」にすとんと落ちた!

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時間と空間の十字路


別の言い方をすると

体という器に

意識が入ってひとつになる

感じです。

そして、昨日今日もその感覚は

続いているようで

なるほど、気功で目指している

心と体が一如になるとは

こういう感覚なのかと

分かった💡のです。

 

うちの整体の院長は

整体をスクール生に教える時

「頭で考えて理解している時点では、

 知っているにすぎない。

 実際に体を使ってやってみることで、

 やっと知識と繋がり

 はじめて分かったことになる。」

とよく言います。

 

私も整体や気功を学ぶなかで

この分かった💡という感覚を

何度も体験しました。

このひらめき 💡❗️にも似た感覚を得た瞬間て

とてもおもしろい。

「あー!院長の言っていたことって

 こういうことね!」

という風になる。

 

そして、一昨日は

「今ここ」に意識を落とす感覚を得たわけです。

今までも布団でぬくぬくできて気持ちいいな

幸せだなーと思ってはいたものの

それはまだ、頭(思考)で

思っていただけにすぎない

ことに気付きました。

そして、感覚として意識が

「今ここ」にあることが分かると

なんだか気持ちが安定する

ことにも気付きました。

私は無宗教ですが

おそらく座禅の世界も

そういうことのように思います。

以前、読んだ道元の本。

最初は、難しくてよく分からなかったけど

要点をまとめた自分のメモを見返すと

以前より分かります。

そうか、そうか、そういうことか💡

 

私は一昨年、母をがんで亡くした時

これからは後悔しないように

「今」を大切にしようと強く思いました。

それまで、母も飼っていた犬猫熱帯魚も家も

当然ずっとそこにあり続けるような

気がしていました。

 

私は、父が亡くなって半年もしないうちに

婚約して家を出ました。

その時、母は私はどうするのよ

と言っていました。

寂しかったんだと思います。

家を出てからは、私は背中の痛みがひどく

頻繁に帰ることはしませんでした。

今思うと残念です。

そして、母もペットも

もう一緒にはいれなくなりました。

兄弟もいないので

古くなった家も手放しました。

昔の自分は

こんな日が来るなんて

想像もしていなかった・・・。

全て消えてしまうなんて。

ずっとあたり前のように

あり続けるような気がしていたから。

年に数回、実家に帰って

その日の夕方、また私が帰るころには

毎回、母とグレーのぐるぐる毛の愛犬が

駅改札まで見送ってくれました。

私は、その別れがいつもどことなく寂しくて。

 

話は最近に戻りますが、

母の死からそんなことを学んだのに

やっぱり気づくといつも先の事ばかり

意識を向けがちになってしまう 😔

あれしなきゃこれしなきゃの連続。

自分で自分を追い込んでばかり。

けれども、「今ここ」の感覚を得て以降

気持ちに余裕ができ

今を楽しむようになってきています。

(まだ2日目だけど😆)

なんだかいい感じです。

 

コロナウイルスによる不穏な時期でも

家にいる間の食べる、寝る、話す

掃除洗濯する、勉強する、映画を観る

その一瞬一瞬を自分の一部のように

体感して大切にしたい。

 

あたり前なんてものは、元々ない。

自分がその素晴らしさに気づいていないだけ。

幸せは探しに行かなくても

今ここにある。

 

 かしこ*

 

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